代表取締役 / 一級建築士 宅地建物取引士
TATSUAKI SATOU
はじめまして。佐藤と申します。
おかげさまで創業から60年と大変多くのお客様からご愛顧いただきまして現在を迎えております。心より厚く御礼申し上げます。
まず、簡単に自己紹介させていただきますと
- ・生まれは国分寺市。(育ちは立川市)
- ・若い頃からバイクのライダー、ギタリストでバンドも組んでいましたが、就職してからはもっぱら仕事オンリーになっていました。
(数年前から友人の誘いで、サーキットでレース参戦しております。) - ・家族は5人と犬2匹でした。
- ・昭和44年生まれ。(40歳を過ぎてから体の体質に変化が…頭にも)
- ・一級建築士(一生で一番勉強しました。)
- ・宅地建物取引士(一生で二番目に勉強しました。)要は学生の頃は全く勉強してなかった・・・。
中堅ゼネコン(安藤建設)から大手ハウスメーカー(ミサワホーム)を経て、内田建設の代表取締役となりました。
替え歌をつくって、学校で歌っては笑われていました。
私の小学生の頃の将来の夢は大工さんになることでした。
作業場でシューシューかんながけして、ノミでコンコン突いて、といしで刃を研いでいる姿、とてもカッコよく見えました。
父は大工ではなく会社を経営する立場でしたが、そのころ「お父さんどこで働いてるの?」と聞かれると、「作業場」と答えていました。
月末になると大工さんの手間の支払いがあり、当時は現金支給の時代でしたので、夕方になるとゾロゾロと大工さんが集まってきます。
大工さんのお給料は封筒が立つほどいっぱい入っていました。
父は経営者のはずだったのですが、大工さんの封筒の半分くらいの厚さしかなかったように記憶しています。
おそらく、こうした光景も見て、私は大工さんにあこがれていたのではないかと思います。
(でも結局、大工さんにはなりませんでしたが…)
母は大工さんが自宅に頻繁にお酒を飲みに来るので、その相手をずっとしていました。週末になると、決まって父と徹夜マージャンが始まり、母は夜食づくりやら、いろいろと忙しそうでした。父は忙しい「仕事」と「つきあい」で、ほとんど私が起きている時間には帰ってこなかったように思います。
真面目に営業するよりも、そんな遊びのようなところから、よく仕事をもらっていたように思います。
当時、母も父の会社で経理の仕事をしていました。
家では会社の話を夫婦でよくしていました。そんな父と母から、「会社の経営」を任されましたが、仕事も遊びも一生懸命だった父から見れば、今の私の「おとなしい経営」は、歯がゆいかもしれません。
最近は父も母も大分くたびれてきて、二人きりにしてる両親を「今後どうしたらよいか」と考えることがあります。世の中にはいろいろな環境の親子がいて、当然、お互いの想いも違ってきますが、私はやはり可能であれば、「子供が親と同居して一緒に暮らすのが良いのかな」と思っています。
よくあることですが、お客様があちこちの展示場を回っているうちに、ハードの比較だけに引きずり込まれて、なんだかよくわからなくなってきたという方がおります。
良いパートナーと巡り合えれば、必ずあなたの理想の素晴らしい住まいをつくることができます。例えば、「親と同居しようか」と思っている方にどのような住居のスタイルが良いのか、 最初からスパッと、しっくりくるような提案はなかなかできないと思います。まず心境をしっかり聞き取って、ある程度時間をかけないと、良い住まいづくりの提案はできないと思います。
我々もお施主様も根気がいるのです。なんでも時間をかければ良いってもんじゃありませんけど、家づくりに関しては、時間をかけることがとても大事なんです。
現場の人間も同じです。一人で、年間40棟~50棟の家づくりに携わる人と年間数棟の家づくりに携わる人とでは、どちらが一棟あたりに対しての「思い入れ」が多いかは一目瞭然です。
私はハウスメーカーから転職してそれが一番感じたことでした。大工さんも同じです。「想い」を込めないと良い「家づくり」はできないのです。
「あなたを応援してくれるパートナー」をじっくりと選んでみてください。
とにかく、私が大工さんにあこがれたように、「大工さんは工務店の大黒柱」であり、工務店にはなくてはならない存在です。大工さんがいなければ、いまだにどんな大手のプレハブメーカーでも家は建たないのです。
労をねぎらって、ぜひとも良い家をつくってもらいましょう!
大手ハウスメーカーでも、小さな工務店でも、大工さんのことを粗末にしていると、どんなに良いプランでも、良い工法・材料であっても「良い家」はできません。料理に例えると、いくら一流の食材を使ったとしても、調理する方によって出来が大きく変わるのと同じです。大工さんはある意味「あなたの家の大黒柱」なのです。
これは弊社で大変お世話になっている大工さんの詩です。
仙洞田 勝三中学卒業式を終えて、家に戻らず、すぐそのまま兄貴の車で就職先の立川に、大工の丁稚奉公に入った。
初めは先輩たちの荷物持ちや、洗濯、掃除をさせられた。
毎日、屋根の上に上がって、山梨方面の富士山をながめては故郷を想い涙でくれていた。
毎年一回は仕事中屋根から落ちたり、時には腰を打ったりで、そのせいで後遺症が残り未だに続いている。
” きみまろいわく ”
あれから五十年
あれから五十年
昔を思わせる何とも言えない詩です。
ちなみに弊社も ” あれから五十年 ”です。
(私は小学校・中学校でPTA会長を何年かやりましたが、女性がいかに有能かをそこで知りました)
でも、このままだと、女性だけが家庭に、仕事に、PTAにと、どんどん忙しくなっていきます。これからは女性を応援する意味で、男性にもPTA活動にも積極的に参加していただいたり、家庭でも家事や子育てにもっと活躍してもらう必要があると思っております。
「どのように工夫したら無理なく仕事と家事・育児が両立できるか?」そのうち子供の世話から親の世話に変わって行きます。ますます主婦ひとりだけで何もかもこなすなんて本当に難しくなってきます。
最近、会社の中でもこういう話を話題にしているのですが、実際、家では何もしていない男性ばかりなので、ハテナだらけです。私はそんなこともあり、最近では自分の食べた食器は自分で洗うようになりました。
N様には、初めてお会いした時から、しっかりしたコンセプトがありました。
それは…
「光と風が通る家」
「家族が集まる家」
「シンプルで素朴だけど、端正な家」
「なるべく壁で仕切らず、開放感があるつくり」
「キッチンを中心に家族や友人も気兼ねなく集まれる家」などなど。
確かに、ご要望はたくさんありましたが、逆にご要望がはっきりしていましたので、当社にとっては非常にやりやすく、また、手戻り等もなく、たいへん助かりました。お打合せを何回もさせていただき、また、日々のメールのやり取りなども行い、N様と私どもが一丸となってつくりあげた「お住まい」だったといえます。
住まいづくりに思い入れと熱意をもっていただいたN様、我社もその思い入れに応えようと取り組んだ「家づくり」であり、ある意味大変勉強にもなりました。本当に明るく元気なご家族で、このお住まいを通じてこれからも生涯のお付き合いをさせていただきたいと社員一同思っております。
内田建設のスタイルは、お客様の声に耳を傾け、暮らし方を考え、じっくりと「理想をカタチに」していく住まいづくりです。
いろいろとこだわりはありますが、おしつけはいたしません。しかし、お客様にご満足していただくまでは、とことんやります。
代表取締役 佐藤達明